和歌と俳句

釈迢空

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麦畑

かがやかに 穂並みゆすれて、吹きとほる 麦原の底の風はほよれり

麦の原の穂だち はるけくおしなみに、照り白む日は 光りしづめり

黒土の畝に、穂立ちのひたさ青に 端正しきかも。麦秀き並ぶ

麦の花 ひそかなれども、目につきて咲きゐる暮れを 風のさびしさ

山岸に 穂麦のあかり照りかへり、あらはなるかも。赤松の幹

夕畑や 黒穂の立ちの まざまざと をちこち見えて さびし。入る日の

夕かげる麦原中道おち窪に、踏み処をぐらく 日は洩り来る

草のうへに 踏みためがたきわが歩み。はだしになれど、いたもすべなし

昼ぎらふ麦原めぐりて来たる音 車かたりと、土橋にかかる

午後二時

わが山に戻り来にけり。くりやべに、昼を鳴けるは、こほろぎならむ

ゆくりなく 目につきにけり。薔薇の後、庭木のうれの みな高ネる

わが庭のやつで広葉 ゆすりたち、さやかに ここを風の過ぎゆく

いろものせき

うすぐらき 場すゑのよせの下座の唄。聴けば苦しゑ。その声よきに

白じろと更けぬる よせの畳のうへ。悄然ときてすわりぬ。われは

衢風砂吹き入れて、はなしかの高座のまたたき さびしくありけり

誰一人 客はわらはぬはなしかの工 さびしさ。われも笑はず

高座にあがるすなはち 処女ふたり 扇ひらきぬ。大きなる扇を

新内の語りのとぎれ おどろけば、座頭紫朝は目をあかずをり

「富久」のはなしなかばに 立ちくるは、笑ふに堪へむ心にあらず