北原白秋

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新らしき 皮膚の痛みか たましひの 心の汗より 来るなげきか

たもちがたき こころとこころ 薄ら青き 蝗のごとく 弾ねてなげくや

憎悪の こころ夏より 秋にかけ 茴香の花の 咲くもあはれや

昼見えぬ 星のこころよ なつかしく 刈りし穂に凭り 人もねむりぬ

あかあかと 鶩卵を 置いてゆく 草場のかげの 夏の日の恋

夏の日は 女役者の ものごしの なまめかしさに 似てさびしけれ

紫の 日傘さしかけ 憂き人の のらりしやらりと 歩む夕ぐれ

やはらかに 夏のおもひも 老いゆきぬ 中年の日の 君がまなざし

なつかしき 七月二日 しみじみと メスのわが背に 触れしその夏

麻酔の前 鈴虫鳴けり まど辺には 紅く小さき 朝顔のさく

夏はさびし コロロホルムに 痺れゆく わがこころにも 啼ける鈴虫

朝顔を 紅く小さしと 見つるいのち 消えむとぞする 鳴け鳴け鈴虫

燕、燕、昼の麻酔の さめがたに 宙がへりして 啼くはさびしも

気のふれし 女寡婦の いと蒼く しまりなき眸に 朝顔のさく

創いたし かなし鋭し またさびし 狂人の部屋に 啼ける鈴虫

ほのかなる 水くだものの にほひにも かなしや心 疲れむとする

さしのぞけば 向ふの寄席に 人形の 治兵衛踊れり なんとせうぞの

なにおもふ わかき看護婦 夏過ぎて 雨夜の空に 花火あがれる

宵のくち それもひととき 看護婦の はるもにか吹く 夏もひととき

長廊下 いろ薄黄なる 水薬の 瓶ひとつ持ち 秋は来にけり

和歌と俳句