北原白秋

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なにしかも 一人ひそかに 白菖蒲 咲けるみぎはに 来りしものか

ひとり来て 涙落ちけり かきつばた みながら萎み 夏ふかみかも

明るけど あまり真白き かきつばた ひと束にすれば 何か暗かり

真白にぞ 輝りてさびしき かきつばた 白き犬つれ 見にと吾が来し

あはれなる 廓の裏の かきつばた 夕さり覗く 目もあるらむ

さんさんと 海に抜手を 切る男 しまし目に見え 昼はふかしも

ちちのみの 父を裸に なしまゐらせ 泳ぎにとゆく その子が二人

寂しければ 両手張り切り 相模灘を 抜手切りゆく 飛びゆくばかり

躍り入り 抜手切れども ここの海の 渦巻く潮の 力深しも

抜手切り 一列にゆく 泳手の 帽子ましろに 秋風の吹く

しんしんと 寂しき心 起りたり 山にゆかめと われ山に来ぬ

この心 断崖の上に いと赤き 狐のかみそり 見れど癒えぬかも

狐のかみそり 血の出づるやうな 思して 踏みてゆかねば 入日が赤し

狐のかみそり かたまりて赤し 然れども ひとつびとつに 風吹けりけり

狐のかみそり しんしんと赤し 然れども かたまりて咲けば 憤ほろしも

毒ある 赤き狐のかみそりは 悲しき馬に 食ましてかな

ただひとり 鴉殺すと はばからず 紅く踏みしく 狐のかみそり

淫らにして 恒心なきもの 実に寂し そこにもここにも 狐のかみそり

原つぱに 狐のかみそり ただ赤し わつとばかりに 逃げ出すわれは

和歌と俳句