北原白秋

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春ふかむ 隣家のしろき 花一樹 透影ゆゑに いよよおもほゆ

春田中 ねもごろ人の いふ聴けば げんげは遅し いま咲く

承塵には 池の水照の 影ゆらぎ まだ春早し 鼠のをどり

壺にして 影ぞおぼめけ 盛る色の 薔薇とを見れば 薔薇とし見ゆ

籠鳥の 揺りつつ遊ぶ さま聴けば 夕とのぐもり 久しかるらし

春の陽に 輝き笑まふ 女の童 瞼の外に 置きて思へや

女童を 今朝出だしやり 午まけて 早や待ちがたし 山辺かすむに

春日すら 霞をぐらき 雑木山 木の芽もただに たちて匂ふを

雲といへば 光恋しき 玻璃の戸に あまりてしろく 春は闌けつつ

わが籠り 楽しくもあるか 春日さす 君が手鞠を かたへに置きつ

春ひねもす 鞠のこもりの 音聴くと 幽かよ吾れの 手触り飽かなく

乙宮の 春はひねもす 子どもらと 手触れ遊びし 君が鞠これ

何の香か こむる春野ぞ 手もすまに つきて遊びし 君が鞠これ

鉢の子と 鞠といづれぞ 陽にあてて 鞠はすみれの 花の香のする

春日さす 鞠はかなしも うつしとる 感光版に うつら影引く

ぬくとさは 縁の端居の 春日向 われも袂の 鞠とり出す

手に撫でて つくづつと居れ この鞠の かがりの綾は 透かせど見えず

女童が ふふむ笑ひは この鞠の かがりの手垢 愛しかりつつ

手垢つく 君が手鞠の あや糸は 赤しと見えず 青しともまた

春日向 ぬくむ手鞠は 掌にのせて 綾は見えずも ほの光りさす

聞くほどは 人香こもらへ これの鞠 手触りすべなも なにかゆがみて

陽に明る 瞼さし寄せ 嗅ぐ鞠の 影黝きかもや かゆきこの鞠

つきて見む 一二三四五六七八九の十 手もて数へて これの手鞠を

霞立つ かかる春日に 子らとゐて つかしし鞠ぞ いま手にはずむ

おぼつかな 鞠のありどの 手を逸れて 音なかりけり 霞むこの昼

和歌と俳句