和歌と俳句

齋藤茂吉

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酒によわく なりたる吾を 寂しとぞ 思はむ折も なかりけるかな

朝々に われの食ぶる 飯へりて おのづからなる 老に入るらし

幻覚の ことあげつらふ 吾さへや 生産などと いふ事を云ふ

はかなごと われは思へり 今までに 食ひたきものは 大方くひぬ

近江のうみ 堅田に群れし かりがねは いつの頃まで 居るにやあらむ

きのふより 紙帳のなかに 幾冊か 書をかさねて 吾は居りけり

家いでて ちまた歩けば 午すぎし 三時といふに 日はかたむきぬ

ぬばたまの 夜の川べに 屯して 寐る鳥ありや その川のべに

あたたかき 飯くふことを たのしみて 今しばらくは 生きざらめやも

この通に 足をとどめて 古本を 値切ることさへ さびしくぞおもふ

めぐらしし 紙帳のなかに 狐らの こもるがごとく 心しづまる

自殺せし ものぐるひらの 幾人を おもひいだして 悪みつつ居り

あまたたび この寂しさを 遣らはむと 心きほひし ことさへもなし

こぞの年あたりよりわが性欲は 淡くなりつつ 無くなるらしも

三越の 七階に来れば 百鳥の さへづりあへる こゑぞかなしき

ひとしきり 窓よりいづる 部屋の塵 いきほひづくを 吾は見てをり

せまり来て 心はさびし すがのねの 永き春日と ひとはいへども

あかつきの しろき光の さしそめし 窓目のまへに ありてとどろく

日比谷より 左にをれて 忽ちに いきほひづける 行列を見つ

ととのへる 街路の上を 一万人の 労働者は はしやぎて行けり