和歌と俳句

齋藤茂吉

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歸國

かへりこし 日本のくにの たかむらも あかき鳥居も けふぞ身に沁む

ひといろに 霜がれてをり 日の光 すがしくさすを 見たりけるかも

比良山は 雪かかむりて 居たりけり 春の来向ふ 比良のゆふぐれ

蕗のたう いまやふふまむ 蓮華寺の 窿應和尚を 訪ひがてぬかも

たまゆらに 見えずなりたる 天龍の しろき川原も 身に沁みにけり

よるさむき 國府津の驛に 時のまは 言も絶えたり 友とあひ見て

火難

焼けはてし われの家居の あとどころ 土の霜ばしら いま解けむとす

かへり来て せんすべもなし 東京の あらき空氣に われはしたしむ

とどろきて すさまじき火を ものがたる 穉兒のかうべを われは撫でたり

やけのこれる 家に家族が あひよりて 納豆餅 くひにけり

やけあとの まづしきいへに 朝々に 生きのこり啼く にはとりのこゑ

焼あと

焼あとに われは立ちたり 日は暮れて いのりも絶えし 空しさのはて

ゆふぐれは ものの音もなし 焼けはてて くろぐろと横たはるむなしさ

かへりこし 家にあかつきの ちやぶ臺に ほのほの香する 澤庵を食む

家いでて われは来しとき 澁谷川に 卵のからが ながれ居にけり

うつしみは 赤土道のべの 霜ばしら くづるるを見て うらなげくなり

うつせみの 我より先きに 身まかりて はや十年に なりにけるかも

霜しろき 土に寒竹の 竹の子は ほそほそしほそほそし 皮をかむりて

たかむらの なかに秋田の 蕗の薹 ひとつは霜に いたみけるかも

かたまりて 土をやぶれる 羊歯の芽の 巻葉かなしく 春ゆかむとす

きさらぎなかば

焼あとに 掘りだす書は うつそみの 屍のごとし わが目のもとに

くろこげに なりゐる書を ただに見て 悔しさも既 わかざるらしき

あわただしく 手にとれる 金槐集は しみくひしまま 焼けて居りたり