和歌と俳句

齋藤茂吉

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日のぼりて 美しき光 足らへれば 大連の海 鳥ひるがへる

目のまへに 断崖あかく 見え来り 籠めたる狭霧 ひらかむとする

汽船より 直ぐ目前に 大きなる 埠頭がありて 吾は対へる

大連の 埠頭にうごく 物なべて 時の間おかぬ いきほふ堆積

かくしつつ 力の動き 止まらぬ 近代都市を 二人は歩む

星が浦の 白波寄する ゆふぐれを 日本人と共に 洋人華人

大洋を 渡りはらからは 新しき 興運として ここにいそしむ

小崗子に ふたり足とどむ 雑然と 躊躇なくして 伝来の燻あり

路傍に 両替屋ありて「財通百川、公平交易」云々ぞ好き

小盗児市場は有名にして 誰も訪ふ 「堆金積玉」の語に 邪気なかりけり

たゆるまも 無くてあつまる 做工者の 動力ここに 整頓せらる

天徳寺も 万霊塔も 此処にあり 苦力は現身ゆゑに 亡きのちのため

ここにては 苦力のことを 華工と謂ひ 一万三千を 常に住ましむ

饅頭を 頬ばる時も 痘痕ある 顔一面を 笑みかたまけて

華工頭は 妻帯をして ここに住む その食物も 差別あらむか

門のある 一劃の家の まへに居る 二頭の妻 をさな児抱けり

此の荘を 廻りて誰か 現実の 苦力楽土と いふを拒まむ

労働の 区切がありて 苦力らの 静かなるときに 笛吹くきこゆ

碧山荘の 高きによりて 金州に 日おちかかる しづけさ見たり

南華園に 日本の秋の 草花の すでにすがれむとしたるが匂ふ