和歌と俳句

齋藤茂吉

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やうやくに 山に入りつつ 道すがら 山蚕の話を 幾つも聞きぬ

青年の ひとり山口に 立ちゐつつ 「看山」をすと 答ふるも好し

山の間の 青雲観の 白菊を ただかりそめの ものとおもふな

道観に 飼はるる猫は キヤラメルを 今食はむとして よろづを忘る

狼の こゑする山と 聞くだにも この一廓の 観のきびしさ

麓より 豆腐かつぎて のぼり来し 若き道士と 観にちかづく

たたなはる 山をのぼりて 汗垂りし 普庵観にて 水を愛しむも

ここに住む 現身なべて 水ををしむ 五仏頂上に あはれ泉なし

龍泉に 石門ふたつ 入りしころ 灯赤く すでにとぼりつ

山寺の 冬の深まむ ことわりに 鐘楼いつぱいに 干す唐辛子

蟋蟀の こゑぞ聞こゆる 山中の この寒き夜の かんに近きか

無量観に 塩漬ありて 口ひびく 辛きを食へば 夜ぞ更けにける

ひくく吊りし ラムプともりて 蓴菜の 塩辛きをも こよひは愛でつ

油燈にて 照らし出されし み仏に 紅あざやけき 柿の実ひとつ

うつせみの 眼がさめしかば 仏の山の さ夜中にして 驢のこゑ聞こゆ

暗闇に 足音ぞする うちつづく 足音とおもふ 吾の目ざめは

この山の おのおのの僧 あつまりて 勤は朝の まだ暗きより

をさなくて 入り来りけむ 幾たりか 菩薩となりて 出でて行きつる

この谿の うへの空より かがやきて 星見ゆるをも 昨の夜は見ず

一巌が 一山をなす うへにして 堂の口より 今しがた人入りぬ

石のうへの 小坐禅堂に 文字あり 「対此芒芒」「笑爾芒芒」

色の欲 此処に封じて 一冬を 越えむとしつつ 干す唐がらし