和歌と俳句

齋藤茂吉

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あさ明けし わたつみのうへに しろたへの 雲ひとつなし 和ぎにけるかも

福寿草を 縁のひかりに 置かしめて わが見つるときに 心は和ぎぬ

いささかの 事なりながら みづからの 事し遂ぐるに金を 借りねばならぬ

四たりの子 そだてつつをれば 四たりとも 皆ちがふゆゑに 楽しむわれは

こがらしも 今は絶えたる 寒空より きのふも今日も 月の照りくる

とことはの 力を祕めて かぎろひの 立ちたる海に 波しづまりぬ

はたらきて 止むときもなき うつせみに 寒さきびしかりし 冬過ぎむとす

丸ビルに むかひてあゆむ 朝の群衆を 見るゆとりあり 春日になりぬ

黴ふきし 餅を水の なかに入れ 今しばらくを 惜しみて居らむ

ふかぶかと 積もりけむこと おもほゆる 落葉の上に 残りたる雪

冬木立 いでつつ来れば 原にしも まどかに雪は 消えのこりたる

あかつきの 麦生の霜は 白けれど 春の彼岸に 近づきにけり

むらがりて 落ちかかりたる かりがねは 柴崎沼の むかうになりつ

春の雲 かたよりゆきし 昼つかた とほき眞菰に 雁しづまりぬ

声しげき 雲雀のこゑは 中空に 聞きつつぞ行く 黄なる蘆はら

かぎろひの 春日といへど 未だ寒き 田中の泥に こころこほしむ

春の雨 ふりたる庭に あはれなる 萱草の芽は 萌えいでて居り

きみしのぶ もろ人つどひ けふの日の 清けき一日 暮れにけむかも

近江路の 番場蓮華寺に 上人の 葬りのみ声 山にひびきて

法類は 涙ながして 石かげに 白きみ骨を うづめをはりぬ

苔のみづ きよきみ寺よ いまゆのち 二たびわれは 此処に来ざらむ

山形の 縣の村の 幾たりか けふこの山に 香焚きこもる

戒壇院に のぼりて来れば まだ寒く 裏手にまはり 直ぐにおりにき

やうやくに 芽ぶかむとして 沙羅双樹 たてる木のもと ゆきかへりすも

中堂の 庭に消のこる雪見れば 土につき白き いはほのごとし