和歌と俳句

齋藤茂吉

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やうやくに 日は延びゆくと おもひつつ こころ寂しく 餅あぶりけり

みちのくの 妹が吾に おくり来し 餅をぞ食ふ 朝もゆふべも

富みたると 貧しきと福と 苦みと かたみにありと ひともうべなふ

音たてて 山の峡より いでてくる 雪解の水は 岸を浸せり

春の雪 上ノ山の裏の 山に降り 小雀のこゑは しきりに聞こゆ

あふれつつ いきほふ春の 雪解水 山笹の葉を 常なびかしむ

上ノ山に 二たび来つつ 人麿の 歿処をおもふ 昨日も今日も

あまぎらし けふ降りしきる 雪かむり 杉のひく木は 皆かたむけり

来むかへる 春を浅みと けふ一日 板谷のやまに 大雪ふれり

擬寶珠も 羊歯も萌えつつ ゆく春の くれかかる庭 ひとり見にけり

わがおもふ ことは悲しも 萌えいでし 羊歯のそよぎの 暮れてゆくころ

かへるでの こまかき花の 散りてゐる 庭にそそぎぬ 逝春のあめ

おもふどち 身まかり行きて 生きのこる 吾ひとり今日 涙しながる

一すぢに 進みたまひし 君が道 ここに行著きて しづかなるかな

うつせみは 悲しけれども いなづまの 閃くがごと 逝きたまひしはや

羊歯むらは 春の光に いきほひて 萌えつつ居れど 君なくあはれ

うつつなる この世のうちに 生き居りて 吾は近づく 君がなきがら

石見なる 三瓶の山を 見つつ行き ただ三人のみ 君あらなくに

おとろへし 歯をはげまして 常陸あがた 山形あがたの をくひぬ

鷺のこゑ 暗きをわたりゆく聞こゆ 風は南と なりたるらしも

み棺の うへにただひとつ 載りてをる 君がころもや 永遠のかなしみ

ただならぬ いまの時代に もろもろは うちにこぞりつつ 君をこぞおもへ

さみだれの しぶき降るとき わが庭の 山羊歯の葉は ひと日ゆらげり

陸奥を ふたわけざまに 聳えたまふ 蔵王の山の 雲の中に立つ

雨の音 谷をおろして 来るときに 夕がれひにて 山女の魚を噛む

みちのくに 吾は生れて 大和なる 山上嶽に けふぞ雲分く