和歌と俳句

齋藤茂吉

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わが住める 家のいらかの 白霜を 見ずて行かむ日 近づきにけり

うつり来し いへの畳の にほひさへ 心がなしく 起き臥しにけり

据え風呂を 買いひに行きつつ こよひまた 買はず帰り来て 寂しく眠る

東京に のこし来し をさなごの 茂太もおほきく なりにつらむか

かりずみの ねむりは浅く さめしかば 外面の道に 雨降りをるかな

聖福寺の 鐘の音ちかし かさなれる 家の甍を 越えつつ聞こゆ

ゆふぐれて 浦上村を わが来れば かはづ鳴くなり 谷に満ちつつ

電燈に むれとべる羽蟻 おのづから 羽をおとして 畳をありく

うなじたれて 道いそぎつつ こよひごろ 蛍を買ひに ゆかむとおもへり

灰いろの 海鳥むれし 田中には 朝日のひかり すがしくさせり

とほく来て ひとり寂しむ 長崎の 山のたかむらに 日はあたり居り

みちのくに 友は死につつ またたきの ひまもとどまらぬ 日の光かなや

われつひに 和に生きざらむと おもへども 何にこのごろ 友つぎつぎに死す

おもかげに 立ちくる友を 悲しめり せまき湯あみどに 目をつむりつつ

かりずみの 家に起きふし をりふしの 妻のほしいままを われは寂しむ

うつしみは つひに悲しと おもへども 迫り来ひとの いのちの悲しさ

むし暑き 家のとのもに 降る雨の ひびきの鋭さ われやつかれし

長崎の 石だたみ道 いつしかも 日のいろ強く 夏さりにけり

かりずみの 家の二階に ひとりゐる わがまぢかくに 蚊は飛びそめぬ

わが家の 石垣に生ふる 虎耳草 その葉かげより 蚊は出でにけり

すぢ向ひの 家に大工の 夜為事の 長崎訛 きくはさびしも

はやり風を おそれいましめて しぐれ来し 浅夜の床に 一人寝にけり