和歌と俳句

齋藤茂吉

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みちのくに いとけなくして かなしみし 釣鐘草の 花を摘みたり

うつせみの 命を愛しみ 地響きて 湯いづる山に われは来にけり

温泉に のぼり来りて 吾は居り 常なきかなや 雲光さへ

温泉の むらを離れて ほのぐらき 谿の中にて 水の音ぞする

谿ふかく くだる道見ゆ あまつ日の 照ることもなき 谿にかあらむ

千々和灘に むかひて低く 幾つ谷 息づくごとし 山のうねりは

高々と 山のうへより 目守るとき 天草の灘 雲とぢにけり

きぞの朝 友の行きたる この道に 日は当り居り 見つつ恋しむ

家いでて 来にしたひらに 青膚の 温泉嶽の 道見ゆるかな

小鳥らの いかに睦みて ありぬべき 夏青山に 我はちかづく

山の根の 木立くろくして 静けきを 家いで来つつ 恋ふることあり

羊歯のしげり 吾をめぐりて ありしかば 寒蝉ひとつ 近くに鳴きつ

たまたまは しはぶきの音 きこえつつ 山の深きに 木こる人あり

臥処にて 身を寂しみ われに見ゆ 山の背並の うねりてゆくが

あそぶごと 雲のうごける 夕まぐれ 近やま暗く 遠やま明し

夏の日の 牧の高原 しづまりて 温泉の山 暮れゆくを見たり

遠風の いまだ聞こゆる 高原に 夕さりくれば 馬むれにけり

水光 ななめにぞなる 高原に 群れたる馬ぞ 走ることなき

松かぜの 音は遠くに 近くにも 聞こえくるころ 吾は行くなり

合歓の花 ひくく匂ひて ありたるを 手折らむとする 心利もなし

あまつ日は 既にのぼりて 向山に 晩蝉鳴けど ここには鳴かず

行きずりの 道のべにして 茱萸の実は はつかに紅し 紅極まらなむ

赤土の 道より黒土の 坂となり 往くも反るも 心にぞ留む

湯いづる山の 月の光は 隈なくて 枕べにおきし しろがねの時計を照らす

長崎に 二年居りて 聞かざりし 暁がたの 蝉のもろごゑ