和歌と俳句

齋藤茂吉

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ゆゑよしも なきわが歩み 谿底は 既にくらきに 水の音すも

わたつみに 日は入りぬらむと おもほゆる 夕映とほし こころにぞ染む

くらくなりし 山を流るる 深谿の 水の音きけば 絶えざるかなや

谿底を 流るるみづは 今ゆ後 くらきを流れ 音のかなしさ

わたつみの 方を思ひて 居たりしが 暮れたる途に 佇みにけり

闇空に 羽鳴らして虫 飛びゆけり 峠につかれて 我あゆむとき

夕映の 赤きを見れば 凡の ものとしもなし 山のうへにて

谷底に くだり来にけり 独り言も 今はいはなくに 眼をつむる

昼ちかき ころほひならむと 四五歩ゆき 山谿みづに 眼をあらふ

みづ越えて なほし行くとき うづたかき 落葉のにほひ その落葉はや

谷底の 石間くぐりて ゆく水に 魚住みをりて 見ゆるかなしさ

この谿を おほへる樹々の しげり葉を 照らす光よ ともしむわれは

青々と 樹々の葉てらす 天つ日は いま谷底の 石をてらさず

かすかなる 水のながれと おもへども 夕さりくれば その音さびし

石苔に わが出したる 唾のべに 来りて去らぬ 羽虫あはれむ

この狭間を 強き水激ち 流れけむ 石むらがりて 横たふ見れば

苔あをく 羊歯のしげれる 石群を 山ゆく水は 常濡らしけり

石のひま くぐり流るる 谷の水 ききつつ吾は 一日ここにゐる

みなかみに のぼりてゆけば 水の道 落葉が下に 隠ろひにけり

石のまゆ 常湧きにして 音たつる いづみの水を あはれ一人見つ

おのづから 水ながれたる 澤越えて 青山見ゆる ところまで来し

しづかなる 一日を経むと 山水の ながるる谿に 吾は来にけり

山みづの ながるる音の 親しさに われは来にけり 言さへいはず

山道を ゆけばなつかし 真夏さへ 冷たき谷の 道はなつかし

傾きつつ 太木しげれる きりぎしの その下のべの 水光見む

みづ流るる 谷底いでて 木漏れ日の 寂しき道を 帰り来るなり