和歌と俳句

齋藤茂吉

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歸雁

焼けあとに 新しき家 たちがたし 遠空をむれて かへるかりがね

ひとりこもれば 何ごとにも あきらめて 胡座をかけり 夜ふけにつつ

きこゆるは あはれなるこゑと 吾はおもふ 行春ぞらに 雁なきわたる

行春のあめ

ここにも ほそく萌えにし 羊歯の芽の 渦葉ひらきて 行春のあめ

はしけやし この身なげきて 虎杖の ひいづるときに なりにけるかも

よるふけて 思ひだしたり うづまける 羊歯のもえこそ あはれなりしか

うまれし國に かへりきたりて ゆふされば 韮をくひたり 心しづかに

かすかなる 蟲のあそびも 見ゆるなり 日にてらされし 擬寶珠の葉に

わがこころ しづかになりて 見て居るは 油ぎりたる 羊歯のむらだち

師の墓に 降れる雨こそ 寂しけれ 墓をぬらせる 行春の雨

長崎往反

四年経て 来し長崎の あさあけに 御堂の鐘の 鳴りひびくおと

丸山の 夜のとほりを 素通りし 花月のまへに われは佇む

近江蓮華寺行

山なかの み寺しづかに ゆふぐれて 窿應上人は 病みこやりたる

さ夜ふけて いまだねなくに 山なかを 啼きゆく木兎の こゑを聞きたり

ひかりさす 松山のべを 越えしかば 苔よりいづる みづを飲むなり

やまなかの 泉にひかり さし居りて わきづるみづは 清しといはむ