和歌と俳句

齋藤茂吉

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山形の あがたよりくる 人のあり 三年味噌を 手にたづさへて

子規居士は 長き病に 臥しながら 蚤の記事こそ 尠なかりけれ

からうじて 今日の一日も 過ぎにけり 思ふことあり さびしきものを

どくだみの こまかきが庭に 生えそめぬ 人に嫌はるる 草なりながら

老残を 退屈ならず おもへども 春川の鯉 みむよしもがも

けふもまた 外出をせず こもり居り 春になりぬと ひとり言いひて

まづしとも おもはぬながら をさなごは 破れし服を 著て歩みけり

山もとに 生ふる蕨を もらひければ はやはや食はむ われひとりにて

あざやかに 行進をする 外兵を 立ちて見にけり 三十分間は

老身の 吾といへども しづかなる めざめとなりて 石の上冴えかへる

われの住む 代田の家の 二階より 白糖のごとき 富士山が見ゆ

この道の ゆききにわれの 見て過ぐる 華鬘牡丹は 常にかなしも

とりよろふ 天の香具山に をとめ率て のぼりたりけむ いにしへおもほゆ

せまりくる その樂しさよ 子規居士の 草花帖を 人に借り来て

青梅の 實の落ちゐたる 下蔭に いくたびか行きし 疎開の時は

金瓶の 村の川原に うづくまり ゆくへもしらず もの思ひしか

おのづから 疎開の記憶 うすらぎて 蚤の少なき 床に臥し居り

たよりなき ものを思はず いきいきと 銀座街上の 光を吸ひて

看護婦の 一群ありて 相なげき 生を捨てむとしたる 短き記事

春雨の 降りつぐけふを 晝いねて 心のこりも 吾なかりけり

いつしかも サンマ・タイムに なりゐたる 代田の空の ありあけの月