和歌と俳句

齋藤茂吉

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高原

蓼科は かなしき山と おもひつつ 松原なかに 入りて来にけり

いまだ鳴きがてぬ こほろぎ 土のへに いでて遊べり 黒きこほろぎ

秋づくと いまだいはぬに 生れいでて 我が足もとに 逃ぐるこほろぎ

秋らしき 夜空とおもふ 目のまへを 光はなちて 行く蛍あり

谷川の ほとりに見ゆる ふる道は たえだえにして 山に入るなり

月夜

高原の 月のひかりは 隈なくて 落葉がくれの 水のおとすも

ながらふる 月のひかりに 照らされし わが足もとの 秋ぐさのはな

月あかし 谷そこふかく こもり鳴る 釜無川の おとのさびしさ

秋の夜の くまなき月に 似たれども こほろぎ鳴かぬ 茅生のつゆ原

飛騨の空に 夕の光 のこれるは あけぼのの如く しづかなるいろ

飛騨の空に あまつ日おちて 夕映の しづかなるいろを 月てらすなり

空すみて 照りとほりたる 月の夜に 底ごもり鳴る 山がはのおと

わがいのちを くやしまむとは 思はねど 月の光は 身にしみにけり

あららぎの實

あららぎの くれなゐの實を 食むときは ちちはは戀し 信濃路にして

ゆふぐれの 日に照らされし 早稲の香を なつかしみつつ くだる山路

八千ぐさは 朝よひに咲き そめにけり 桔梗の花 われもかうのはな

やまめの子 あはれみにつつ ゆふぐれて 釜無川を わたりけるかな

山のべに にほひし葛の 房花は 藤なみよりも あはれなりけり

くたびれて 吾の息づく 釜無の 谷のくらがりに 啼くほととぎす

釜無

夕まぐれ 南谿より にごりくる 谿がはの香を なつかしみかも