和歌と俳句

齋藤茂吉

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山水人間蟲魚

甲斐がねを 汽車は走れり 時のまに しらじらと川原の 見えし寂しさ

しづかなる 河原をもちて ながれたる 狭間の川を たまゆらに見し

山がひを をりをりしろく 激ちつつ 寂しき川が ながれけるかな

ふく風は すでにつめたし 八ヶ嶽の とほき裾野に 汽車かかりけり

天づたふ 日のかたむける 信濃路や 山の高原に 小鴉啼けり

高原に 足をとどめて まもらむか 飛騨のさかひの 雲ひそむ山

澄みはてて いろふかき空に 相寄れる 富士見高原 ゆふぐれにけり

あかときは いまだ暗きに 目ざめゐる 吾にひびきて 啼く鳥のこゑ

蚊帳つりて ひとりねむりし あかときの 冷たきみづは 歯に沁みにけり

みしずかる 信濃高原の 朝めざめ 口そそぐ水に 落葉しづめり

林間

山ふかき 林のなかの しづけさに 鳥に追はれて 落つる蝉あり

桔梗の むらさきの色 ふかくして 富士見が原に 吾は来にけり

松かぜの おともこそすれ 松かぜは 遠くかすかに なりにけるかも

谷ぞこは ひえびえとして 木下やみ わが口笛の こだまするなり

あまつ日は 松の木原に ひまもりて つひに寂しき 蘚苔を照せり

燈下

ともし火の もとにさびしく われ居りて 腫みたる足 のばしけるかな

諏訪のみづうみの泥ふかく住みしとふ 蜆を食ひぬ 友がなさけに

みすずかる 信濃の國に 足たゆく 燈のもとに 糠を煮にけり

高はらの しづかなに暮るる よひごとに ともしびに来て 縋る蟲あり

窓外は 月のひかりに 照されぬ ともし火を消し いざひとり寝む

月の光 いまだてらさず 白雲は 谷べにふかく 沈みたるらし

潮浴に 安房の海べに 行きたりし わがをさなごは 眠りけむかも

諏訪のうみの 田螺を食へば みちのくに 穉かりし日 おもほゆるかも

うつしみは 現身ゆゑに 嘆かむに 山がはのおとも あはれなるかも

やまふかき その谷川に 住むといふ やまめ岩魚を 人はとり食む

八ケ嶽の 裾野のなびき はるかにて 鴉かくろふ 白樺の森