やうやくに 秋のふかまむ 山の峡 朝の雷 鳴りとどろけり
けふの晝 雷鳴りし雲 そきゆきて 秋の夜の月 のぼらむとする
けふもまた 山に入り来て 樹の下に 銀杏ひろふ 遊ぶがごとく
病みながら 秋のはざまに 起臥して けふも噛みたる 飯の石あはれ
親しかる 心になりて 此里の まだ金つかぬ 栗の實を買ふ
烟草やめてより日を経たりしが けふの暁がた 烟草のむ夢視つ
みづからの いのち愛しまむ 日を経つつ 川上がはに 月照りにけり
秋づきて 寂けき山の 細川に まさご流れて やむときもなし
みづ清き 川上がはに 住む魚の エダを食したり 晝のかれひに
胡桃の實 まだやはらかき 頃にして われの病は 癒えゆくらむか
早稲の香は みぎりひだりに ほのかにて 小城のこほりの 道をわれゆく
ゆくりなく 見つつわがゐる 栗は 近き電燈に 照らされゐたり
曼珠沙華 咲きつづきたる 川のべを われ去りなむか 病癒えつつ
ありし日を 思ひいでなむ 世の相の 悲しき歌を 君はうたひし
きびしかりし 労働の歌 いくつかが 人の心に かがやかむかも
長崎に かへり来りて 友を見つ 遠のめづらの 心かなしも
われ病みて 旅に起臥し ありしかば 諏訪の祭に けふ逢ひにける
心しづめて 部屋にし居れば 衢より 神の祭りの 笛の音きこゆ
長崎の 港見おろす この岡に 君も病めれば 息づきのぼる
浦上の 奥に来にけり はざまより 流れ来る川を あはれに思ひて
クルスある 墓を見ながら 通り来し 浦上道を 何時かかへりみむ
日もすがら 朽葉の香する 湯をあみて 心しづめむ 自らのため
朝な朝な 同じ頃あひに 稲田道 兒らは走りて 学校へ行く
かかる墓も あはれなりけり 「ドミニカ柿本スギ之墓行年九歳」
「ドメナ松下ヒサ行年九十二歳」信者にて世を終へしものなり
信徒のため 寶盒抄略といふ書物 御堂の中に ぽつりとありぬ
小さなる 御堂にのぼり 散在する 信者の家を 見つつしゐたり
油煙たつ ランプともして 山家集を 吾は読み居り 物音たえつ
ひらけたる 谷にむかひて 長崎の 港のかたを おもひつつ居り