和歌と俳句

齋藤茂吉

9 10 11 12 13 14 15 16 17 18

信濃路に わがこもれりし あかつきや 窿応上人の 息たえたまふ

番場なる 蓮華寺に鳴く こほろぎの こゑをし待たず 逝きましにけり

常臥に 九とせ臥し たまひけり 近江のみ寺 ふゆさむくして

みほとけに 茶飲茶碗ほどの 大きさの 床づれありと 泣きかたるかな

ともしびの 蝋ともりつつ 尽きてゆくごとく ひじりは病みていましき

あらがねの つちゆくみちに ここのとせ 一足だにも あゆみたまはず

法類は 泣きなげけども うつせみの 息たえたまひ いさごのごとし

右がはの 麻痺に堪へたる 御体ぞと おもへば九とせ 悲しくもあるか

しづかなる 土にはふらず なきがらは 炎に焼きぬ 山のうへはや

近江路は あつさきびしく ありつらむ 篁なかの 臥処なりとも

朝ゆふは やうやく寒し 上山の 旅のやどりに 山の夢みつ

秋ふけて ゆくとしおもふ 煮つけたる 源五郎虫 ひさげる見れば

みちのくは 秋の日よりの 定まらず 田居のむかうの 柿もみじせり

くに境ふ 高山なみは かくろひて 雲のみだれの おろしくる見ゆ

あさけより 日のくるるまで ふりさくる 蔵王の山の 雲は常なし

よろこびて 我をむかふる 兄みつつ 涙いでむとす はらから我は

もの音も けどほくにして 病みて臥す 兄の枕べに 床をならべぬ

わが兄の いのちはかなきを 夢のごと おもふことあり この時のまや

田の畦を とほりてをれば 枝豆は 低きながらに 赤らみそめつ

ほそくなりて 道のこり居り いとけなく 吾はこの道を 走りくだりき