和歌と俳句

釈迢空

前のページ<< >>次のページ

妻のゐしくりやに向きて 思ふなり。日に 稀にのみ おもひいでつゝ

生れ子の汝を抱きて、汝が母の、愁へしことも、きのふなりけむ

畳のうへに、立ちつゝあるく汝を見て、いぶせき時に、父は笑ひし

腹だちて、口どもり言ふ 父の顔さびし と 見つゝ この子はあらむ

うるみたる赤き眦を かきそへよ。父の似顔の あまり足らへる

木場の水 わたればきしむ 橋いくつ。こえて 来にしを いづこか 行かむ

橋づめの木納屋の 木挽き 音 やめよ。大鋸の粉 光る 風のつめたさ

燈ともさぬ弁財天女堂 庭白し。近みちしつゝ 人行き とほる

深川の 冬木の池に、青みどろ 浮きてひそけき このゆふべなり

地震頻発り 踏みためがたきひた土に まづ をろがみし 神のみ貌

焼け原の ただ中に坐て、哭きにけり。わがみ社は、やけまさずけり

あぢさゐの花の盛りの かくありし 河岸道来つる 幾年なりけむ

をとめ子の 黒髪にほひ 顔よきに、声ほがらさの さびしき 役者

街のうへに いきれて あがる土ほこり。家並みの飾り、くるめきて見ゆ

この町の古家のしにせ 賑へど、あきなひ早くなりて さびしさ

かたよりて 我が立てる 銀座尾張町 かくも、処女は 充ち行きにけり

いとけなくて、我が見し町のむすめ子に 似つゝは 行かず。都のをとめ

わが心 むつかりにけり。砂のうへの 力芝を ぬき ぬきかねてをり

かの子らも、来ずなりぬる円山に、のぼり居て また くだり行かむ