北原白秋

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老いらくの 父に向へば 厳かしき 昔の猛さ 今は坐さなくに

ははそはの 母よと思へば 涙しながる ははそはの母も 老いまししかも

ちちのみの 父の眉毛も 譬ふれば 雪のごとくに 古りましにけり

はづか残る 父の頭の うしろ毛を 子ら騒ぎ刈る をかしと笑ひて

馬の毛を 刈るバリカンに 刈られけり 父の頭の 白髪残り毛

この父の うすき白髪の あはれさと わが母泣かす をとめ子のごと

皺ふかき 父の御咽喉の 太骨の 骨々しさを 母とさすりつ

ちちのみの 父の御咽喉を ははそはの 母のはらはら 剃らすものかも

咽喉ぼとけ 母に剃らせて うつうつと 眠りましたり これや吾が父

真十鏡 手にはとらせど 垂乳根の むかしの姿 かへるすべなし

その子らの 生活立たねば あはれよと 母は鏡を つひに売らしつ

老いぬれば 子の云ふなりに ならしけり 泣かしまつるな この父母を

玉の緒の 絶ゆる事無く 童にて 遊び恍れてむ 親の御前に

黒髪に 霜は置くとも 父母よ まさきくおはせ いつの世までも

中臣の大祓 ほがらほがらに この朝も なほ耳にあり 飯のおいしさ

このわれの 箸が鉄雄の 箸よりも 大きかりけり これのうれしさ

吾がこぼす 白き飯粒 ひとつひとつ 取りて含ます 母は笑ひて

葱のぬた 食しつつふとも この葱は かたき葱ぞと 父の宣らしつ

深く母の 黙したまへば 蠅の来て つぎつぎたかる 飯の白きに

母よ母よ 早く食しませ 小翅ふりて 御前の飯に 蠅のたかるを

母の深き 吐息きくとき 最も深く 母のこころに ひたと触れたり

垂乳根の 親とその子の あたたかく 飯食す間さへ 笑ひがたきか

垂乳根の 深き溜息 今のなほ 耳にのこれり 街をいそげども

和歌と俳句