和歌と俳句

釈迢空

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大正11年

山ぐちの桜昏れつつ ほの白き道の空には、鳴く鳥も棲ず

燈ともさぬ村を行きたり。山かげの道のあかりは、月あるらしも

道なかは もの音もなし。湯を立つる柴木のけぶり にほひ充ちつつ

山深く こもりて響く風のおと。夜の久しさを堪へなむと思ふ

山のうへに、かそけく人は住みにけり。道くだり来る心はなごめり

ほがらなる心の人にあひにけり。うやうやしさの 息をつきたり

山なかに、悸りつつ はかなさよ。遂げむ世しらず ひとりをもれば

山深く われは来にけり。山深き木々のとよみは、音やみにけり

人ごとのあわただしさよ。閭より立ちうつり行く ほこりさびしも

庭土に、桜の蕊のはららなり。日なか さびしきあらしのとよみ

もの言ひの いきどほろしき隣びとの家うごくもよ。あらしに見れば

春のあらし 静まる町の足の音を 心したしく聞きにけるかも

春の夜の町音聴けば、人ごとに むつましげなるもの言ひにけり

心ひく言をきかずなりにけり。うとうとしきは、すべなきものぞ

ひとりのみ憤りけり。ほがらかに、あへばすなはち もの言ふ人

人の言ふことばを聞けば、山川のおもかげたち来ること 多くなれり

人来れば さびしかりけり。かならず 我をたばかるもの言ひにけり

ほがらに 心たもたむ。人みな はかなきことを言ひに来んびけり

かたくなにまもるひとりを 堪へさせよ。さびしき心 遂げむと思ふに

雨ののちに 雪ふりにけり。雪のうへに 沓あとつくる我は ひとりを

十年あまり七とせを経つ。たもち難くなり来る心の さびしくありけり

新しき年のはじめの春駒の をどりさびしもよ。年さかりたり

道なかに、明りさしたる家稀に、起きてもの言ふ声の静けさ