和歌と俳句

釈迢空

前のページ<< >>次のページ

阿蘇をこえて

よすがなき心 あやぶくゆられゐつ。馬車たそがれて、町をはなれつ

つまづきの この石にしもあひけるよ。遠のぼり来て、阿蘇のたむけに

盆すぎて をどりつかふる里のあり。阿蘇の山家に、われもをどらむ

奥熊野

たびごころもろくなり来ぬ。志摩のはて 安乗の崎に、燈の明り見ゆ

わたつみの豊はた雲と あはれなる浮き寝の昼の夢と たゆたふ

闇に 声してあはれなり。志摩の海 相差の迫門に、盆の貝吹く

天づたふ日の昏ゆけば、わたの原 蒼茫として 深き風ふく

名をしらぬ古き港へ はしけしていにけむ人の 思ほゆるかも

山めぐり 二日人見ず あるくまの蟻の孔に、ひた見入りつつ

二木の海 迫門のふなのり わたつみの入り日の濤に 涙おとさむ

青山に、夕日片照るさびしさや 入江の町のまざまざと見ゆ

あかときを 散るがひそけき色なりし。志摩の横野の 空色の花

奥牟婁の町の市日の人ごゑや 日は照りゐつつ 雨みだれ来たる

藪原に、むくげの花の咲きたるが よそ目さにしき 夕ぐれを行く

大海にただにむかへる 志摩の崎 波切の村にあひし子らはも

ちぎれあれや 山路のを草莢さきて、種とばすときに 来あふものかも

旅ごころ ものなつかしも。夜まつりをつかふる浦の 人出にまじる

にはかにも この日は昏れぬ。高山の崖路 風吹き、鶯のなく

那智に来ぬ。竹柏 樟の古き夢 よそ ひるがへし、風とよみ吹く

青うみにまかがやく日や。とほどほし 妣が国べゆ 舟かへるらし

波ゆたにあそべり。牟婁の磯にゐて、たゆたふ命 しばし息づく

わが乗るや天の鳥船 海ざかの空拍つ浪に、高くあがれり

たまたまに見えてさびしも。かぐろなる田曾の迫門より 遠きいさり火

わたつみのゆふべの波をもてあそぶ 島の荒磯を漕ぐが さびしさ

わが帆なる。熊野の山の朝風に まぎり おしきり、高瀬をのぼる

うす闇にいます仏の目の光 ふと わが目逢ひ、やすくぬかづく