奥の多摩小河内の谿入りふかし時化あとの水ぞ濁り渦巻く
命なり山女釣る子は岩崖のかかり辛うじて糸を垂れたる
渓の魚山女の串は火に寄せてこんがりとありその反る腹を
うたたねの夢に顕ち来しおもかげは山女魚にかあらし秋の水の音
おもて戸ゆ古き湯宿の灯は洩れて女童ひとり葡萄食む見ゆ
物のほろび早や感ずらし夜のくだち貉がどちも声をこそのめ
朝に聴きて夕に言問うふ山川の音のたぎちよ聴かずなりなむ
大菩薩しづもる国ゆたぎち来て多摩の水長し音立てにけり
道つけて水にしたがふ山峡のつづらのたをり人行きにけり
山川や青の水泡に棲む魚の山女はすがし眼も濡れにけり
春山の小峡の湍の日のたむろ家居群れつつ人は在り経し
何ならじ霜置きわたす更闌けて小河内の民の声慟哭す
霜いよよ定まりぬらし田尻ゆく夜の水の音のきこえつつあり
我が族早や滅ぶべし寒食と漬菜噛みきらむ力すらなし
口乾く山の童が三冬月朝は氷柱の牙かじりかく
司らは閑あれかも日に萎り人は餓うれど将たなげくなし
小河内丹波山小菅こぞり生くべし山くだりしんしんと行け言挙げよ今
風さむきいよよ極月あかつきの霜ふみてくだるひたひたと山を
青梅街道の裏山つたふ霜の暁風は裸線を素引きたりけり
莚旗巻きつつ朝来し路をまたのぼるなり日暮寒きに
野に満ちて朝霜しろき玻璃のそとあな清けいまは筆は擱くべし
暁、ただ一色にましろなる霜の真実に我直面す
犬が噛む轍の薄氷はりはりと音ひびくなりこの寒の土に
朝けぶり立つ野良見れば家居してまた事もなし大蔵ここは