北原白秋

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照る月の 冷えさだかなる あかり戸に 眼凝らしつつ 盲ひてゆくなり

月讀は 光澄みつつ 外に坐せり かく思ふ我や 水の如かる

鶏の声 けぶかき闇に たちにしが よく聴けば市の 病院にして

お茶の水 電車ひびくに 朝早やも 爽涼の空気 感じゐるなり

杏雲堂側面 未明は暗き 窗あけて 混み合ひの屋根に 霜の置く見つ

暁の窗に ニコライ堂の 円頂閣が見え 看護婦は白し 尿の瓶持てり

屋上の 胸壁にして 朝あがる 一つの気球 みつめつ我は

逆光の 玉の白菊 仰臥に 見つつはなげけ ややがて見ざらむ

我が眼先 しろきに蘊む 菊の香の 硝子戸あけて 乱れたるらし

視力とぼし 掌にさやりつつ 白菊の おとろふる花の 瓣熱ばみぬ

影にのみ 匂やかなる 窗ぎはの その花むらも 暮れて来りぬ

冬曇り 明大の塔に こごりゐて 一つ黝きは 赤き旗ならむ

雲厚く 冬は日ざしか とどこほる 聖堂の黝き 樹立うごかず

犬の佇ち 冬日黄に照る 街角の 何ぞはげしく 我が眼には沁む

病院街 冬の薄日に 行く影の 盲目づれらし 曲りて消えぬ

目の盲ひて 幽かに坐しし 佛像に 日なか風ありて 觸りつつありき

盲ひはてて なほし柔らと ます目見に 聖なにをか 宿したまひし

唐寺の 日なかの照りに 物思はず 勢ひし夏は 眼も清みにけり

童女像 朱の輝り霧らひ 今朝見れば 手に持つ葡萄 その房見えず

焔だち 林檎一つぞ 燃えにける 上皿一キロ 自動計量器

両の眼を 白く蔽へる 兵ひとり 見やる方だに おもほえなくに

ニコライ堂 円頂閣青さび 雲低し この重圧は 夜にか持ち越す

ニコライ堂 この夜揺りかへり 鳴る鐘の 大きあり小さきあり 小さきあり大きあり

暖房は 後冷きびし 夜にさへや 眼帯白く あてて寝むとす

鳥籠に 黒き蔽布を かけしめて 灯は消しにけり 今は寝ななむ

和歌と俳句