北原白秋

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影さへや 蕾は硬き 冬の薔薇 ただ三葉四葉の 灯映りにして

聴耳に 胡桃食みゐる 影我は 坐る太尾の 栗鼠にかも似る

何しらに 灰掻きならす 夜のなぐさ まぶれあやしく 蠅かはばたく

手を当てて またほてるなき 鉄瓶の 胴はじきつつ すべな夜寒は

春立ちて 月の幾夜ぞ 雑木々の 風騒ぐ枝に 我が眼閃く

冬雑木 こずゑほそきに 照りいでて 鏡の如く 月坐せりとふ

父われに 冴ゆる月夜を 戸は鎖して 書よみにけり 女童この子

万巻の 書をい照らす 灯うつりに 鼠は啼くか さむき鼠は

夜の鼠 小耳かき立て 声も無し うしろけはひを うかがふらしき

古書の帙 のぼる鼠の 尾は引きて 夜の咳に 乱れたりけり

物の文 繁にし思へば かいさぐる 我が指頭に 眼はのるごとし

春蘭の 冷やき葉叢の 香の蘊み 点滴の音は 鉢の外にあり

春蘭の かをる葉叢に 指入れ 象ある花に ひた觸れむとす

眼さきに 片手さし寄せ そぱしぱと 見入るならひも おのづとなりぬ

片手のみ 眼にさしかざし 声は無し 泣くなる姿 こころには観よ

春夜寒 白の小屏風 超ゆとして 面出す鼠 声落ちにけり

風すごし 愛しふたつの あなうらに 赤外線の 燈は当てて寝む

雪降りて しづけかりとふ 朝庭に 春の時雨か 音わたり来る

我が内障眼 すべないたはり 日も暗し 春早き外に 土旋風巻く

春塵の いづ方となき 日のまぎれ 渡鳥のこゑを 聴くと切なり

水ぐるま 春めく聴けば 一方に のる瀬の音も かがやくごとし

何知れず 眩き雲や はげしくぞ 眼をしばたたき 我はありける

和歌と俳句