榛の木に 烏芽を噛む 頃なれや 雲山を出でて 人畑をうつ
酒店を 叩けども起きず すすり泣く 賤の童に 雪ふりしきる
奈良の町に 老いたる鹿の あはれかな 戀にはうとく 豆腐糟喰ひに来る
縁日の 市に買ひ得し 早咲の 鉢栽櫻 散りぬ歌無し
いかのぼり 乱れ心の たへかねて 切つて放ちて 其夜より病む
玉くしげ 二子の山を 立ちいでて 雲飛びわたる 蘆の水海
北風の 絶えず吹けばや 磯馴松 片側ばかり 枝のさすらん
大佛も 鐘楼も花に うづもれて 人聲こもる 山の白雲
牛かひに いざこと問はん 此ほとり 世をのがれたる 翁ありやと
病みて臥す 窓の橘 花咲きて 散りて実になりて 猶病みて臥す
はらはらと もろこし黍を 剥ぐ音に しばしばさむる 山里の夢
狼の 来るとふ夜を 鎖したる 山本村は 旅籠屋もなし
下野の 二荒の山は 紅葉して ところどころに 瀧ぞかかれる
奥山の 峯の紅葉を 折り取れば いづくとも知らず 猿啼く聞ゆ
紅粉を流し 白粉を注ぐ 三千の 面影もあらず 只麥の月
年々歳々 花相似たる 向嶋 歳々年々 人同じからず
桑の田は 青海原と なりぬべし 末の松山 波は越えじな
御車に 供奉せし事も 夢なれや 故郷の山に ひとり菊を植う
長安の 市の酒屋に 桃咲きて 李白が鼾 日斜なり