和歌と俳句

齋藤茂吉

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わが父が 老いてみまかり ゆきしこと 独逸の国に ひたになげかふ

七十四歳に なりたまふらむ 父のこと 一日おもへば 悲しくもあるか

イサールの 河べを行きつ 此処に来る 労働階級の 青年おほし

大地震の 焔に燃ゆる ありさまを 日々にをののき せむ術なしも

東京の 滅びたらむと おもほえば 部屋に立ちつつ 何をか為さむ

わが親も 妻子も友らも 過ぎにしと 心におもへ 涙もいでず

こよひまた Hofbrauの 片隅に 友と来りて しづまりて居り

ゾルフ大使の 無事を報ぜる かたはらに 死者五十万余と註せる

引越を つひになしたり うす暗き 部屋に覚悟を きめむとぞする

今日ゆ後 いかにか為むと おもへども おもひ定まらぬ 現身われは

友とともに 飯に生卵 かけて食ひ そののち清き川原に黙す

体ぢゆうが 空になりしごと 樂にして 途中靴墨とマツチとを買ふ

一人して Alzbergerkeller といふ 処にて 夕食したり まづしき食店

業房に けふは来りて 電報を 教授に見しむ 教授わが手を握る

かはるがはる 我側に来て よろこびを 言ひいづあはれ この人々

街上を 童子等互に 語りゆく 「ペン尖ひとつ五十万マークするよ」

荘厳と 謂ふべからむか たくましく 肥りし馬が 荷を輓きゐるは

街路樹の 葉が黄になりて 散りしかむころを我身は とりとめもなき

はるかなる 国とおもふに 狭間には 木精おこして ゐる童子あり

イサールの 谿のこだまは 谿かげに 七のこだまと なりて消えたる

ひるすぎの おもき空気に ふるひ来る 遠雷は 川のみなかみ

イサールの 谷の柳の 皮むきて 箸をぞつくる 飯を食ふがに

山がはの みづに下り来て 現身を 恐るるがごと 足を洗へり

志那国の 人ひとりゐて 山がはの 流れ見おろすは 何か寂しき

かすかなる 心なごみて 川上の しろき砂地に 靴ぬぎにけり

女わらはが 吾がまへよぎり しげしげと 吾を見つるは 寂しさに似む