和歌と俳句

齋藤茂吉

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夜半すぎて 帰り来れり 霧ふかく こめたる街に 吸はるるごとく

天皇の 生れましの日を ことほぎて 集へるものが よろこびかはす

けふは Karl Haushofer将軍も 祝の言の葉 申しあげたり

墓地ゆけば なべて静けし 墓地のみち この国人と ともに吾ゆく

白菊と 黄菊の花も 鶏頭の 紅のふりたる 花も売りけり

ゆふ毎に 我ぞあゆめる しとしとと 霧にぬれたる 石だたみ道

けふもまた そこはかとなく 暮れゆきた 南ドイツの 家にぬむらむ

日本より 持て来し蓴菜を 食はしむと 酢を買ひに行きし 我友あはれ

祖国ドイツの 悲しみの日よ しかすがに 燃ゆる心と けふを集へる

ながつつづく 悲哀の楽は 寒空に 新しき余韻を 二たびおこす

中空に 打つ銃のおと つづきたる 鋭き楽を 聴きつつゐたり

落葉せる 庭のしぐれの 音きけば 日本の山の ごとき寂しさ

さだめなき この仮住や 夢にして 白飯の中より 気たちのぼる

ミユンヘンの 夜寒となりぬ あるよひに 味噌汁の夢 見てゐきわれは

をりをりに 群衆のこゑか 遠ひびき 戒厳令の 街はくらしも

警察時間 夜の十時に のびしかど 大学全部 けふ休講す

物のおと 無くなりしごと 夜ふけて 警めし街に 女たたずむ

おもおもと さ霧こめたる 街にして 遠くきこゆる 鬨のもろごゑ

執政官 Karlの訓示 街頭に はられてありぬ 祖国のために

ミユンヘンを 中心として 新しき 原動力は 動くにかあらむ

ヒツトラアのため 命おとしし 学生の 十数名の 名がいでて居り

槍もてる 騎馬兵の一隊も 護り居り 事過ぎたりと おもふごとくに

イサールの 橋のたもとを 国軍が 占領したれば 戒厳終らむ

ふるさとの 暁おきの 白霜も 此処には見ずて 冬はふかめり

夫婦にて 来居る同胞が ある時に 豆腐つくりぬ 食はむといひて

ふるさとの 穉子がかしき 走り馬 枕の許に 置きつつねむる