和歌と俳句

齋藤茂吉

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新しき 地震東京に ありたりと 報ぜる朝刊を もちて立ち居り

一匹の 犬の頭蓋に 穴あけし 手術にわれは 午前を過ごす

彼いはく 独逸人の眼は 「絹」にして 猶太人の眼は 先づ「天鵞絨」か

同治五年の 新約聖書 とりいでて 示しながらに 彼はよろこぶ

「一日の労苦は一にて足れり」と 聖いへども 今にふさはじ

飯のなかの 砂を噛みたる 時のまを 留学生の われは寂しむ

一月廿一日 Lenin死して 軟脳膜に出血 ありしがごとし

摂政宮殿下御婚儀の 賀詞ありき ドクトル・オスワルドの ひた心善し

業房に いろいろ気を使ひしためか あけがた妻の 夢を視てゐし

わが部屋に 四人あつまり 肉を煮て 東宮婚儀を 祝ぎたてまつる

Leninの脳がミユゼーに納められしといふ 唯物論者のLeninnの脳が

けふ第二の 犬の頭蓋の 手術をば つひに為したり 汗垂りながら

Cafe Minervaのこと たづねむと 大学の裏 幾度か往反す

ニイチエの詩の朗読を ひとりの若き女性がしたるが好しも

音楽の 大き波動の 進行に 予感をひとつ 持つこともなし

実験の 為事やうやく はかどれば 楽しきときありて 夜半に目ざむる

かぜぎみの ことはしばしば ありしかど 熱に臥ししこと 一日もあらず

床に入りて 相撲の番附を 見てゐたり 出羽ヶ嶽の名も 大きくなりて

女ドクトル わがそばに来て O tenpora! O mores!の歌を 教へてゆきぬ

金為換 けふとどきたり わが友の みななさにして 涙ぐみ居り

ヒツトラー事件の 判決ありて 新聞にも 街頭にも大きく 写真出でゐる

フェーンの 風吹くべくなりて 積れりし 雪は解けそむ きのふもけふも

やうやくに 暖かとなりし こよひは Serenissimusに入る Minervaのあと

数万の 群衆ここに つめきりて 式を遂げつる 美しく強く

形式のみの ためとおもふな かくのごと 荘厳にして 事おこなはる

何といふ 大なる楽か 一国の 心にひびき とほりてあはれ