和歌と俳句

齋藤茂吉

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あわ雪は 降りつもれども アムゼルの 鳴くこゑのして 春たけむとす

かすかにて あるか無きかに おもほゆる 草のうへなる 三月の霜

寺の鐘 しきりに鳴りて 安息の けふ明けわたる 春のこころに

イサールを 渡り来りて 人形の 芝居を見たり その簡単よ

東京の わが穉子の 生れたる けふを麦酒少し 飲みて祝ぐ

ヴアン・ゴオホの 向日葵の図も 眼ぢかくに 見たる幸を わすれかねめや

イサールの 流れとともに 歌はれし 古きみ寺に けふは来にけり

兎らの 脳の所見と 経過とを 書きはじめたり 春雨ききつつ

たどたどしき 独逸文にて 記しゆく 深秘なるべき 鏡見像を

このみ寺の 弥撒に逢ひぬれば 童男と 童女の列は すべて清けく

この為事 いそがねばならず 日もすがら 夜を継ぎて運び 来りしかども

平ならぬ 心を持ちて 辛うじて ここの美術に 親しみなむか

グツデン先生の み墓のまへに 帽とりて 心静めぬ 日々苛てるを

春の雪 みなぎり降りぬ 高山の つらなり延ぶる みなみ独逸に

あさけより 雪を降らしし 雲の峯 北方によりて そばだち居たり

けふ降りし 春のはだれに 日は差して かがやきながら 斑雪常なき

猫柳の 花たづさへて 寺に入りゆく童女を見たり わが心和ぐ

雪雲は けふも立ちたり バヴアリアは 高山のくに その空の雲

春の光 ながらふるごと かがやきて 衢をい行く われは汗ばむ

東京の 妻がおくりし 御守護を おしいただきて カバンにしまふ

くろ雲は この都市を おほはむとして 春のいかづち とどろきにけり

真向の 家並のいらか 光るとき たちまちにて 雷ぞとどろく

いかづちの 鋭きときは くしやくしやに なり居る心 しばし和らぐ