和歌と俳句

齋藤茂吉

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ものなべて 静かならむを 好しとせり 心しづまれ この暁に

海どりの 白くひるがへる 暁を おのづからなる 人群れむとす

くれなゐの 光にもあるか あまつ日の 海よりただに のぼるを見れば

とことはに 仕へまつらふ 海幸を 海人の生を さきはひたまへ

鰭の狭物 鰭のひろものに 至るまで 置き足らはして 朝明けむとす

北平と いひたる頃の おもひでを 数多持ちつつ 夜ぞ更けわたる

哈爾浜の 市場にありて 食料品買はむと 誘惑を 感じけるころ

わが甥の 勤めはげむは 山海関に いたらぬ前の 駅とおぼえむ

寒さきびしき 満州なれど 降りつもる 雪は奥羽の 雪に及ばず

いくたびか 洋をわたらむ 願ひあり 北京の春を いまだも知らず

梅の木の 低木のもとの 青き苔 冬の真なかに 冬さびをせず

外面には 霜はいたきに 赤き花 むらがり咲きて 梅家ごもる

一尺に 満たぬ木ながら 百あまり 香ににほひたる 紅の梅

花びらは 上枝にもあり 下枝にも ありて蕾の なほし五十まり

くれなゐに 染めたる梅も にくからず 今こそ思へ 白梅のはな

花びらは 上向きたるも 間々ありて 下向きたるも にくからなくに

くれなゐの 梅を愛しむ わが歌を をとめの伴は いかにか読まむ

散りがたに なりたる梅を 眼ぢかくに 置きつつ居れば われ独りよし

くれなゐに 香に立ちきたる 梅の花 さ夜ふけに見て 心しづまる

うつし世の きびしき時の たまゆらの 心の和と 紅梅の花