和歌と俳句

齋藤茂吉

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冴えかへる このゆふまぐれ 白髭に マスクをかけて われ一人ゆく

午前より 地下鉄道の 入口に のぼる気流を しばしあやしむ

納豆も しばらく食はず しかすがに 恣にて われあるべしや

百貨店の 休憩室に 来りけり 十分間ばかり 心は虚し

蕗の薹 五寸あまりに 伸びたちて 華になりたり 今朝はあひ見つ

なやましく 時にひびけど さもあらばあれ いくる為事は 実に大いなり

浮釣木と 名づけて愛づる 紅花は 外のあらきに 当つることなし

小さなる 欅の三もと 立ちゐたり 大木のごとき 心をもちて

高層の 七階にして 午後の二時 白色のレグホンが 時をつくる

吾がとなりに 若き母乳を 飲ませをり あまたたび乳児に 面すりつく

平野より 直にそびゆる 遠山の 青きにむかふ 心地して立つ

三越の 地階に来り いそがしく 買ひし納豆を 新聞につつむ

狂者らの 残しし飯も かりそめの ものとな思ひ 乾飯にせよ

蕗の薹 むらがり立つを よろこびて ほほけぬ日日を 来て立ちまもる

みちのくの 農に老いつつ みまかりし 父の稲刈が おもかげに立つ

春たけて 来つつ北空の 風をいたみ 机のうへに 煤おちきたる

日ねもすを 吹きすさびたる 風のため 小さき青葉の 萌が散りくる

春山を わが来るなべに 眼のまへの 柞のおち葉 しきりにうごく

うづたかく 散りつもりたる 落葉山 おち葉の下に こもり水ありて

しづかなる ものにもあるか 木間にて 落葉のうへに 照りかへすみず

小峡にし 杉の木立の 茂ければ 杉の落葉を ふみつつぞゆく

地のうへに くろびかりする 石ひとつ 朝な夕なに 誰かも見らむ

汝をおもひ しみみに見れば 春山の 槻の落葉も おほよそならず

春のみづ 砂をながせる 跡ありて 山の小鳥ら むつみあそびし

木々の葉の まだ芽ぶかざる 上野の 山路をゆけば 地ふるふおと