和歌と俳句

山口誓子

激浪

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ゆふ蝉やその樹の下を通るとき

水高ノあまたののかくれがほ

同じ木の紅蕃茄のみ暮るるなり

句の選をはじめ端居の儘終る

夏燕木場の引潮惨として

英霊を訪はまく海人の白地着て

巣燕にやがて夜が来る警報下

崖攀ぢていつまでも砂こぼす

崖攀づるや吾より高くなり

町々の流れ無花果木蔭なす

無花果が生りて流水おのづから

紅き蟹ゐて木場の材の見過ぎ難

わが行けば道のさきざきよぎる

海辺にて立ちて眺むる蟻地獄

蟻地獄寂と墳墓の如きかな

理不尽に蟻の地獄の辺を歩む

蟻地獄昏れてますます陰るなり

夏の暮帆の白きことかたくなに

海距つ三河の方にいなびかり

燐寸すれば端居の下駄のしばしほど

家中に蚊遣火の紅ただ一点

星を撒く蛙田の上海の上

夜が明けてけふにつづける蟻地獄

あたらしき工を一夜に蟻地獄

白鷺の羽領布振るや炎天に

日盛りや思ひを断ちて思ふこと

めざましき蟻地獄よと跼み寄る

端居してわがゐる故に動く漁火

向日葵や翼下となりて鳴り響む

北よりす又西よりす揚羽蝶

揚羽蝶いづこの樹の間過ぎつらむ

巌につきステッキに着く蝸牛

日盛りの庭石を見て実に久し

那古かけて炎天なんぞ帆の多き

栴檀の実が落つ思ひ立つときに

蟻地獄みなゆふかげを地獄にし

投函を思ひ夕焼の中すすむ

冷し馬たてがみ赭く濡れずけり

冷し馬馬首ともすれば陸に向く

馬の意の再び海に入り浸る

冷し馬潮北さすさびしさに

濡れし身の動きて歩む冷し馬

冷し馬戻りの堅き土を踏む

泳ぎ場に馬ゐしことも時過ぎし

町中に入りて隠れぬ冷し馬

曩の日に見てけふも見る冷し馬

面映えて夕焼の橋に僧と逢ふ

蟻地獄いづれかけふの日に生くる

道の辺に夕焼はげしきただの土堤

庇影より炎天の土起る

浦は入り砂州は出づるや舟あそび

緑蔭のまた木洩れ日をしたたらす

蟻地獄つんと草葉の影を置く

の爪一撃岸のものを打つ

涼しさに眼鏡の端の星流る

炎天や僧形遠くより来る

声なりしやと炎天を顧みる

水練の中学生褐一色に

隊伍来しときのごとくに泳ぎの徒

水練の点呼ヨットも白帆寄す

待たれずに箋分ち読む日の盛り

冷し馬けふは下手の海に立つ

蟻落ちて覗き見らるる地獄あり

をりからの浴衣真白く黙祷す

夜も暑く天に照空燈悼む

稲妻や悲しきラジオさまたげて

けふもまた白き日盛り流涕す

水練隊わつと上陸奇襲の状

泳ぎ場の日ざかりさびし人を見ず

水練隊けふ日輪をいただかず

高みより俯向き降る揚羽蝶

一筋のながなく蝉の声加ふ

天日のなきまま暮るる蝉のこゑ

林中日別ただしき蟻地獄

潦夕焼けて海に近づく道

削氷の音銀行にゐしときに

夕立はヨットの鋼の網に降る

水練の清き渚を海人通る

しづかにも大木の幹蜂離る

郡はあれど碧海郡の夏来る

紅き蜂とんで吉事のあるごとし

向日葵の辮に西日の仮借なく

黍あらし去りては来る仮借なし

南天の星座知るなし星流る

稲妻を北に放つや戦の夜

衣吊れば透かしの翅の揚羽蝶

諸処にとび終に一なる揚羽蝶

水上機夏山の陸深くとび

海荒や翅やや傷む揚羽蝶

あかつきの蝉と聞きつつ又眠る