九段より下に神田の白き道見るだに春は心ときめく
くれなゐの雲の中より浮き出でて蓬莱めける春の山かな
縹して砂にひろがる春の水靄になびける天城足柄
何ごとに心の足るか知らねどもこちたく香をば散らす梅かな
明星は帰らん国ももたぬごととり残されて秋風ぞ吹く
空青し雁のわたるを眺むらん孝標の女も国府の館に
山荘の鐘のひびけば艶めかし池の翡翠の人見よと立つ
山荘の広き戸口に唐鐘の痩せてかかれる夕月夜かな
春いまだ浅しいみじき水仙の花のやうなる夕月夜かな
散るものは雪ならずして大空の二月の春の星の花びら
ひとところ落椿して地の底の焔と見ゆる渓の路行く
秋の空冷たき水の中に立つうら悲しさを語る月かな
人間の世は冷たしと浅間山峰の煙のとどまらぬかな
夕闇に透かし見るなり薔薇の花いまだ生れぬ世界のごとく
むさし野の蒲田の薔薇の園を行く夕闇どきの水の音かな
山川の岩にかかれる白波のさましておつる夕ぐれの薔薇
逆しまに青き空をば抱く薔薇ルノワアルをば仰ぎたる薔薇
数知らず伊豆の島より流れくる椿の花と見ゆるいさり火
砂の山天城のかしら足柄によそへんほどの白雪を置く
美くしき星の消えぬと衣をば上にまとひて惑ふ浴室
太陽は海浜院の炉の中にかくれて空の曇る昼かな
鎌倉の師走十日のはだら雪悲しきいろと人も思はん
空もいと近きところと見なされて雪のふる日はなつかしきかな
尾根の雪解けて再び雨と降るさらに涙とならんとすらん