琴の音に巨鐘のおとのうちまじるこの怪しさも胸のひびきぞ
もの哀れ知れる心は日のうちに春のかぜ吹く秋の風ふく
むかしの日姉とおもひし桜草いもうととして君と培ふ
わが門の二もと柳すこしづつ春めくころのあかつきの雨
神田川その岸のまち霞まむと病めば都のうちもなつかし
わが息の虚空に散るも嬉しけれ年の明けたる一日二日
あめつちの白地の春に少女子の遣羽子の音金砂子おく
君とまた再会すべき家としてしげるをめづるいちじくの葉よ
二月や怒をおびし丹はなだの雲のうかびて霰ふるかな
紅梅に地獄絵のごと赤黒く入日のさせばいきどほろしき
朝夕かたはらに笑む桜草はたかたはらに泣くさくら草
わが子の目うるみてやがて隠れたる障子のそとに春の雨ふる
浅みどり柳の枝の中行ける紺のきものの春の夕ぐれ
うら庭の千日紅を血まみれの花と忌むなり物に怖れて
春の水あふるる音を何よりも悲しとおもふ我に似たれば
そよ風の春のあかつきとらへ来て我に這はせよ水いろの雲
磯はまの貝の紋をば見るごとく石の上這ふ春のかげろふ
ほのじろき李の花に降る雨も見て心燃ゆ人を恋ふれば
いにしへの奈良の御寺の内陣を歩む心地に臘梅を嗅ぐ
おほらかに大寺めきて煙曳くわが春の日の磁の香炉かな
よろこびぬ浮彫したるきよらなるうす桃色の春の初めを
南風けうとく吹きしのちに降る三月の雨涙のごとし
水色の寝間著のままにすと通る十畳の間の大鏡かな
野やしろの石のこまいぬそのもとのあたたかかりし馬ごやしかな
ものは皆いづちともなく消ゆるもの忘るるものと知りてはかなし