ちりぢりに夜衛の如く歩みきぬ十一月の北条の町
雪寒しわけて師走の舞台とて忠兵衛と云ふ横道も泣く
歌舞伎座や村正と云ふ刃ほど西の廊下の冷たかりけれ
梅幸も去年と今年を逆しまに若がへらぬが淋しかりけれ
梅の花匂へば思ふ生命より後に残らんあはれなる夢
美くしき犬ころ童女の童さらにいみじき春のしら雪
目を上げて雨を見るなり人形の国性爺めく朱の色の桃
利根の宿松の梢に置くものは遠き鹿島の灘のしら波
堂が島渓のならひか知らねども濡れて悲しき木下路かな
明神の山の頭に灯ともれば祭壇めきてなまめかしけれ
物思ふ人より早く眠りたり水の彼方の明星が岳
箱根路の調の滝に翅をば揃へいで立つ春のそよ風
子等あまた港に入りし船のごと安げに眠る春の宵かな
いにしへのわが心臓の賑はしき祭も覚ゆひなげし見れば
鮮かに黒き班のある雛罌粟をしるしに置きて病す五月
喜びはいかなることに湧くものか忘るるまでの大事となりぬ
ひるがほは何処に見てもわが脱ぎし衣と覚えてあはれなつかし
山荘の冷き書庫の露台よりひらくを見たる月見草かな
菊一つ尋ねいだして微笑める十一月の末の夕かぜ
瑠璃色に黄金の緑をしたるもの太陽として懸る秋かな
旅をして同じ本のみ見ることを大事の如く歎く子らかな
をとどしの皐月に見たる虎杖の芽の尺ほども伸びし山かな
かんばしく丹朱を敷きて流れたり伊香保の奥の極熱の川
ほの白き葛となりて黄昏の切崖に居ぬ温泉の靄