和歌と俳句

齋藤茂吉

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おひろ

なげかへば ものみな暗し ひんがしに 出づる星さへ あかからなくに

とほくとほく 行きたるならむ 電燈を けせばぬばたまの 夜も更けぬる

かなしみて たどきも知らず 浅草の 丹塗りの堂に われは来にけり

代々木野を ひた走りたり さびしさに 生の命の このさびしさに

さびしさびし いま西方に ゆらゆらと 紅く入る日も こよなく寂し

紙屑を 狭庭に焚けば けむり立つ 戀しき人は 遙かなるかも

ほろほろと のぼるけむりの 天にのぼり 消え果つるかに 我も消ぬかに

ひさかたの 悲天のもとに 泣きながら ひと戀ひにけり いのち細くも

うづ高く 積みし書物に 塵たまり 見の悲しもよ たどき知らねば

つとめなれば けふも電車に 乗りにけり 悲しきひとは 遙かなるかも

この朝け 山椒の香の かよひ来て なげくこころに 染みとほるなれ

愁ひつつ 去にし子ゆゑに 藤のはな 揺る光さへ 悲しきものを

夕やみに 風たちぬれば ほのぼのと 躑躅の花は 散りにけるかも

啼くこゑは 悲しけれども 夕鳥は 木に眠るなり われは寝なくに

愁へつつ 去にし子ゆゑに 遠山に もゆる火ほどの 我がこころかな

このこころ 葬らんとして 来りつる 畑に麥は 赤らみにけり

麦の穂に 光のながれ たゆたひて 向うに山羊は 啼きそめにけり

瑠璃いろに こもりて圓き 草の實は 悲しき人の まなこなりけり

ひんがしに 星いづる時 汝が見なば その目ほのぼのと かなしくあれよ