和歌と俳句

齋藤茂吉

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雪ふかき ころとしなれば この村の 駅逓所より 馬も橇もいづ

笹むらの しげりなだれし この沢を 熊は立ちざまに 走り越ゆとふ

しみじみと みちのく村の 話せり まづしく人の 老ゆる話を

人も馬も うづむばかりの 太蕗の しげりが中に われは入り居り

ひるの虫 まれに鳴きつつ この道や 人の歩みに 逢ふこともなし

午前二時すぎとおぼしき ころほひに 往診に行くと 兄のこゑする

ひと寝いり せしかせぬまに 山こえて 兄は往診に 行かねばならぬ

ゐろり火に やまべあぶりて いまだ食はず 見つつしをれば 楽しかりけり

山沢に おのづから生ひし 桑の木に 桑の実くろく なりしあはれさ

このあした 名のなき山べ ひとつ越え くら谷にして しづく落つるおと

おとうとは 酒のみながら 祖父よりの 遺伝のことを かたみにぞいふ

白樺の 年ふりにける 一つ木の 立てるもさびし 北ぐにのやま

十尺よりも 秀でておふる 蕗のむれに 山がはのみづの 荒れてくる見ゆ

去蟹と 名づくる蟹が 山がはの 砂地ありくを 暫し見てをり

二里奥へ 往診をして かへり来し 兄の額より 汗ながれけり

人かよふ 道ありしかば 水上へ 入りつつゆくに きはまるらしも

除虫菊を 山奥にうゑて 日もすがら 年老いし人 ひとりゐる見ゆ

かすかなる もののごとくに わが兄は 北ぐにに老いぬ 尊かりけり

おのづから 白くなりゆきし 髭そめて 村医の業に 倦むこともなし

いささかの トマトを植ゑて ありしかど 青きながらに 霜は降るとふ