和歌と俳句

齋藤茂吉

25 26 27 28 29 30 31 32 33 34

とことはに ふみのひじりと 現には いのちはながく 立ちていませり

まぢかくに 見まゐらするかなや うつし身の 君はたふとく 老いたまふなり

もえたてる ほのほのいろの 澄みゆきて 君が心ぞ さやけかりける

一とせに ひとたびまうで 来ることも 忘れがちにて 生くるさびしさ

コスモポリイは さもあらばあれ 心もえて 直に一国を 憂ふる者ぞ

この家の 木のくらがりに 雉子飼へり 山のなかなる くらがりに似む

街上の石だたみが朝ぎりに しめるころ 既に剽悍の目附きして あるき居らむか

譬へていはば 精子のごときか 目に見えぬ 個の生滅ののちに あたらしき国は興らむ

おのづから 日の要求の 始末つけてなほ 今ごろ君は 何食ふらむぞ

軍の要素なる 士官の行為は 単に 突撃戦の場合のみと 誰かいひたる

なかぞらに 音する雨は またたくまに 羊歯のしげみに 降りそそぎけり

伊賀の上野に わが子病みぬと いひしとき 妻はわれよりも 早くいで立ちぬ

心中といふ 甘たるき語を 発音するさへ いまいましくなりて われ老いんとす

有島武雄氏なども 美女と心中して 二つの死体が腐敗して ぶらさがりけり

抱きつきたる 死ぎはの遘合を おもへば むらむらとなりて 吾はぶちのめすべし

ハルピンより に十里北に 屯すといふ みじかき文も 身に沁みにけり

高粱が 高くしげりて ちかづける 土匪のひとりも 見えがてぬとぞ

呼蘭より 綏化の線に たたかひつづけて はやふた月は 経きといふかも

あつき日の ひるは過ぎしに わが庭に 山の小鳥来て しばし鳴きたる

合歓の葉に 入りがたの日の ひかりさし すきとほるこそ 常なかりけれ

あつかりし 一日くれゆく 宵やみに 蝉鳴きしかど つひには鳴かず

うすらさむき 畳のうへに のぼりくる 蟻をさまたげむ ものなかりけり