和歌と俳句

齋藤茂吉

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露西亜人の 造りし家も 残り居り 日本人は其を 参考だにせず

住みつきて 業にいそしむ 人々に 逢ひつつ旅の 心は和ぎぬ

おひおひに 土地草木も 日本らしく 整理され行くが かすかに目立つ

小沼に来て 養狐場に 養はれゐる 銀黒狐 いくつも見たり

食物を 与ふるときに 狐等は 実に驚くばかり吠えける

いろいろと こまかき用意 話しながら 「神経動物」といふ 語を用ゐたり

狐等に 交尾せしむる ことさへも 一の技術と いふを聴き居つ

パンを売る ロシア人等も 漸くに 小さき駅へ 移りゆくとぞ

夜寒にし なるらむ頃と おもはねど 鳴く蟋蟀の こゑも聞こえず

長旅を をはれるごとき おもひもて 南へむかふ 船にわが居り

わたつみに 雨は降れども わが目路に ノトロ半島見ゆ シレトコ半島見ゆ

行の船にて 麦酒を少し 飲みしかど この船にては 麦酒も飲まず

樺太に 来て消えはてし まぼろしを 育くむ思ひ 無きにもあらず

いろ赤く たなびく雲も あらなくに 天の原遠く 暮れにけるかも

つかれつつ 汽車の長旅 することも われの一生の こころとぞおもふ

よる一夜 おりゐしづめる 雲ありて 天塩のくにを 汽車はくだりぬ

よるの汽車 名寄をすぎて ひむがしの 空黄になるは あはれなりけり

山々に 光さしくる いとまありて 空はひととき 赤羅ひくなり

やまめ住む 川のながれと おもふさへ 身に沁むまでに われは旅来ぬ

夏ふけし 石狩のくにの あかつきは 雲はれし山 雲のゐるやま

朝寒を あはれとおもひ 吾汽車の しめし玻璃窓に 顔を寄せつつ