和歌と俳句

齋藤茂吉

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白頭翁

おきなぐさ ここに残りて にほへるを ひとり掘りつつ 涙ぐむなり

をさなくて われ掘りにけむ 白頭翁 山岸にして はやほろびつる

金瓶の 向ひ山なる 大石の 狼石を 来つつ見て居り

われ世をも 去らむ頃にし 白頭翁 いづらの野べに 移りにほはむ

たたかひに やぶれし國の 高野原 口あかく咲く くさをあはれむ

樹蔭山房

門人と 君をおもへば この家に 心おきなし 立ちつつ居つつ

蔵王山を ここより見れば 雪ながら やや斜にて 立てらくあはれ

まれ人を むかふるごとく 長谷堂の 蕎麥を打たせて 食はしむるはや

すゑ風呂を あがりてくれば 日は暮れて すぐ目のまへに 牛藁を食む

あはあはと よみがへりくる もののあり 哀草果の家に 一夜やどれば

哀草果も 五十五歳に なりたりと 朝川のべに われひとりごつ

ひと夜寝て 朝あけぬれば 萌えゐたる 韮のほとりに わが水洟はおつ

櫻桃の 花咲きつづく ころにして 君が家の花梨の花はいまだ

本澤村

かたまりて 李の花の 咲きゐたる 本澤村に 一夜いねけり

この村の 家々に林檎の 白花の 咲くらむころを ふたたび来むか

おきなぐさ 山べゆ堀りて 持て来たり とし久にして 見つるものかも

最上川べに 歸りてゆかば しばしばも 君をたづねむ 吾ならなくに

胡桃の花

山に居れば われに傳はる 若葉の香 行々子はいま 對岸に啼く

葦原は いまだも低き 新しさ その中にゐる 行々子あはれ

わが體 休むるために 居りにけり しづかに落ちくる 胡桃の花は

この川の 岸をうづむる 蓬生は 高々となりて 春ゆかむとす

河鹿鳴く おぼろけ川の 水上に わが居るときに 日はかたぶきぬ