和歌と俳句

齋藤茂吉

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挽歌

われ明治二十九年の晩夏より 呼びにし母を いまぞとむらふ

ながき世の こととも思ふ 瞬きの ひまとも思ふ 養ひの我が母はや

東京の まだうらわかき 母のべに 楽しかりにき 朝な夕なに

東京に のぼり来りし ほがらかさ 十五歳なる われは仕へき

五十年の 過去をおもひて わが母を 弔ふなべに 涙いでむとす

爭ひし 事もあらなくに あり経しを おのづから時の 過ぐと思ひき

われもまた 年は老いたり 孝の子と 人はいふとも 否も諾もなし

わが母の 寡黙のうちに つつみたる 苦をしぞおもふ けふの夜ごろは

あふむけに 臥しつつをりて わが母の 中陰の日に 涙ぐみたり

すでにして 現なる世に いまさねど 今よりのちも わが感慕の母

晩春

かみつけの 山べのたらは みつみつし 吾にも食せと もてぞ来れる

納豆は 君が手づから つくりしを 試みよちふ ことのゆたけさ

古今書院 主人と君と 吾と三人 伊香保高野を もとほりけむよ

思ひでは をかしきものか 遙かにし 過ぎにし人も 目のまへにくる

近江のや 坂田こほりの 蓮華寺へ 行きがてなくに こひかも居らむ

きこえくる 代田小路の 紙芝居 たたかひ過ぎて 三とせといへば

ほそほそし 伊豆のも 楽しかり わが胃の中に 入りをはりけり

あるよひに せつなきまでに 悲しかり ひとのいのちに 思ひ及べば

爪だてて 外見むとする をさな兒を 大き聖も よしといふめり

やまがたの 最上こほりの 金山の 高野も こよなかりけり

羽前より 羽後へ越えむと する山の をつみて われさへや食む