みちのくの 山形あがたより 東京へ 歸り来りて 虹いまだ見ず
税務署へ 届けに行かむ 道すがら 馬に逢ひたり あゝ馬のかほ
界隈に をん鳥をれば あかつきの 聲あげむとして その身羽ばたく
われの背に ゐるをさな兒が 吃逆せり 世の賢きも するがごとくに
冬至すぎし ゆふぐれ毎に 黄色の くもりのしづむ 東京の空
竹炭を 焼きはじめたる 報来たり 熊本あがたの 山の峡より
よひよひの 膝のうへに 水洟が 落ち免るべからぬ 生のかよひぢ
とほくより 近づききたる ごとく啼く 冬あかつきの 鵯鳥ひとつ
過去世にも 好きこのんでたたかひし 國ありや 首を俯して われはおもへる
黄海も わたりゆきたる おびただしき 陣亡の馬を おもふことあり
目かくしを されし女の 銃殺を まのあたり見む わが境界ならず
みちのくの 農の子として われつひに 臣のひとりと 老いづきにけり
國歩なほ 艱難のとき 家いでず きのふもけふも 涙ぐましも
孫負うて 畳をありく 時さへや 現のひびき ただならぬはや
代田川の ほとりにわれを いこはしむ 柳の花も ほほけそめつつ
隣人の 庭の木むらに 朝な朝な われにも聞けと うぐひす啼くも
わかくして 戦捷の世も 過ぎ来つる わが生の火は やうやく幽けし
現實は 孫うまれ来て 乳を呑む 直接にして 最上の善
ひとりさめて思ふ中宵を過ぎしころ 闇黒の中の 紅梅のはな
戦争に 随伴したる こまごまを 古人しるしき 堪へがたきまで
空襲の とどろき過ぎて この河の 流わたりし 炎おもほゆ
墨田川 彼岸ににぶき ものの音 amor fatiと 聞こえ来らむか
浅草の 晩春となり 人力車ひとつ北方へむかひて走る
われひとり 行春の道 とほりけり をりをり進駐の 番號ありて
東京の 春ゆかむとして あらがねの せまきところに 麥そよぎけり