和歌と俳句

齋藤茂吉

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宵あさく ひとり籠れば うらがなし 雨蛙ひとつ かいかいと鳴くも

夏晴れの さ庭の木かげ 梅の實の つぶらの影も さゆらぎて居り

馬に乗り 湯どころ来つつ 白梅の ととのふ春に あひにけるかも

萱ざうの 小さき萌を 見てをれば 胸のあたりが うれしくなりぬ

青山の 町かげの田の 畔みちを そぞろに来つれ 春あさみかも

春あさき 小田の朝道 あかあかと 金気浮く水に かぎろひのたつ

さみだれは きのふより降り 行々子を ほのぼのやさしく 聞く今宵かも

細り身

蜩蝉の まぢかくに鳴く あかつきを 衰へはてて ひとり臥し居り

おとろへし 胸に真手おき 寂しめる 我に聞ゆる 蜩のこゑ

宵浅き 庭を歩めば あゆみ路の みぎりひだりに 蟋蟀鳴くも

現身は 悲しけれども あはれあはれ 命いきなむと つひにおもへり

火鉢べに ほほ笑ひつつ 花火する 子供と居れば われもうれしも

つめたき 土にうまれし 蟋蟀の まだいはけなく 鳴ける寂しさ

さ庭べに 何の蟲ぞも 鉦うちて 乞ひのむがごと ほそほそと鳴くも

たまゆらに 仄触れにけれ 延ふ蔦の 別れて遠し かなし子等はも

神無月の 土の小床に ほそほそと 亡びのうたを 蟲鳴きにけり

うらがれに しづむ花野の 際涯より とほくゆくらむ 霜夜こほろぎ

よひよひの 露冷えまさる 遠空を こほろぎの子らは 死にて行くらむ

分病室

この度は 死ぬかもしれずと思ひし 玉ゆら氷枕の 氷とけ居たりけり

隣室に 人は死ねども ひたぶるに 帚ぐさの實 食ひたかりけり

熱落ちて われは日ねもす 夜もすがら 稚な兒のごと 物を思へり

のびあがり 見れば霜月の 月照りて 一本松の あたまのみ見ゆ