和歌と俳句

齋藤茂吉

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ミュンヘンに はじめて来り 旅びとの 第一歩のごとく歩く

諸教授を 訪ひてこころは 和ぎゐたり シュピールマイエル、リューデン、イッセリン

バワリヤの 古き都市とし おもへれば なべての物が こころに触り来

プラッツル、ホーフブロイも ひとり来て この国人の なかに酔ひけり

イサールの 青きながれと ひと歌ふ この山川は あはれとどろく

日ざかりの 汗は垂りつつ Frauenkircheの 塔のうへの吾はや

観るべきは おほかた観たり 豊かなる ピナコテークも いそぎめぐれば

この町に 六日をりつつ 維也納より 心落ちゐざる ことをおもはむ

戦に やぶれしあとの 国を来て われの心は 驕りがたしも

湖の 濃き碧のいろ 高山の はだら雪のいろ この国ゆけば

牛むるる 牧のかたはらに 面紅き 雉子の降りゐるは 恐怖なけむか

十年に 一度のみなる 受難劇 ひとり旅路の われ会ひにける

この村の 小川の岸に おりたちて 藻のゆらぐさま 心こほしむ

石竹と 天竺牡丹と 花あふひ 日本の村を 行くにし似たり

基督の 一代の劇 壮大に 果てむとしつつ 雷鳴りわたる

相こぞり この村人の 演ずるを 神の黙示と 代々に継ぎ来し

き野が 峡のあひだに つづけるに 牛の頚の鈴 をりをり聞こゆ

きりぎりす 夏野に鳴けり 故郷の 野べを思ひて 眼つむりぬ

おごそかに 既にせまれる アルペンの 山脈にしも 相対ひたる

山かひの さびしき村に 立ちてゐる 寺の尖塔は 心をしづむ

ここを流るる Ammer川は おのづから Ammer湖まで 北へ流るる

あわただしく この都市に来て 古城をも デユーレルの家をも見たり

古城にては 「ひょっとこ」の面 ひとつ見つ いかなる時に 渡来しつらむ

バワリア製 鉛筆工場は この都市に ありと知れども 今は機なし

聖ローレンツ寺院の 内部も Tugendbreunnenの水も あわただしく見つ