和歌と俳句

齋藤茂吉

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

Bumke教授の 考案による 病室の 壁の色いろいろに 塗りてありしは

Bostereom講師が われを案内せり 専門学的に 複雑せるを

グスターフ・フオツク書店の 階上に 時をうつして 日はかたぶきぬ

プラタヌスが しきりに落葉 したりけり 少女の掃くも 心なごましむ

ウイルヘルム・ヴント先生 みまかりて 初期の論文を われは求むる

この画廊に ラフアエルの シスチンマドンナを 今ぞあふげる 旅とほく来て

この国の エルベの河の かはべりに かすかに降れる 露をあはれむ

ザクセンの 国の朝雲 太陽が 真紅にいでて いまだ低しも

城砦は 山のうへなる しづけさを 河中にして 見さけけるはや

わがそばに 国民学校の 童女らが 一団となりて 集まりて居り

小景は 常に楽しも この岸に 自転車おきて 釣する人みゆ

シヤンダウの 丘にのぼれば すかんぽは またほほけぬ 日本のごとく

山なみの 重るあひに エルベ河 みなもととほし 南のかたに

ここよりも なほし上らば チエツコ国の 境をこえて なほしゆくべし

山羊の群 来るにあひて 原始的 平和を恋ふる われは旅びと

夜のねむり やはらかにまどか なりしこと 殆ど無くに 旅こし吾は

伯林に やうやく著けば 森鴎外先生の死を知りて 寂しさ堪へがたし

帰りゆかば 心おごりて 告げまゐらせむ 事多なるに 君はいまさず

ベルリンを 去らむとして 二時間あまり 動物園に 来りわが居り

この五月 生れたりといふ 日本鹿 Sikaと記して あるも親しも

車房に入りて 腰をおろしし 時の間の この安けさを 何とか言はむ

難儀なる 旅をつづけて 帰りこし この狭き部屋の 平和悲しも

やすらぎも 極まるごとし 維也納の わが床にうづまり 眠らむとして