和歌と俳句

齋藤茂吉

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劇はててより 観客群集の 少女等が 鬨をつくりて 讃歎す噫

カスタニエンの 繁る木下に 休らふを 貴きものの ごとくにおもふ

張りつめて 為事する七日の 一日だに かかる寂しさを 愛しまざらめや

汗垂りて 中央墓地に 来りけり 墓地の木下に しばし眠らな

我が生の ときに痛々しくあり経しが 一人この墓地に 来ゐる寂かさ

洞窟の 中にみなぎる 雪解水 帝王もつねに 召したまひにき

アルペンの 雪解の水の とどろきを Keimfreiと 注解をせり

維也納市の 水道源を 約言すれば 氷のみづと 謂ふべからし

白雲は この大谿に 動けども その間にして たたなはる山

くろぐろと 樅の木原の つづきたる 山ふりさけて 暁に居り

山の気 ゆふべとなれば 冷え来り アルペンの脈 おもほゆるかも

この山に 飛びかふ蛍の 幽かなる 青きひかりを 何とか言はむ

暗やみの 谿を越えたる 向う空 ほのかにあかし 町の灯か

赤き屋根 この山原に 点在し 傍看せしむる 時にだに好し

Schneebergは 即ち雪山の 意味にして ふかき谿谷を 幾つも持てる

おのづから 君を慕ひし 少女子の しづかなる眼も 写しけるかな

出羽の海の 身まかりし知らせ 受取りてより あやしき迄に 東京おもほゆ

朝宵を 青年のごとく 起き臥して ひぐらし鳴かぬ 夏ふけむとす

空合に つづかむとする きほひにて 「きドナウ」は 今日こそ濁れ

大きなる 河としいへば 親しかり 白き水鳥の ひらめき飛びて

鴉らは 相むらがりて 低く飛ぶ 島の森に来れば 入りゆくもあり

ゆたかなる 河のうへより 見て過ぎむ 岸の青野は 牛群れにけり

すでにして 過ぎ来し森の かすむまで 吾等の船は かくも速しも

大き河 国をくだれば 暗緑の 森のこごりし 陸をこそ見め

緑なる 平野より来て Donauに 支流のあふは 寂しかりけれ