和歌と俳句

齋藤茂吉

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秋づきし 庭のおもてに さす光 こころしづけし 苔も落葉も

寺なかの ともりし白き 電燈に 蟷螂とべり 羽をひろげて

むらがりて 庭に衰ふる あら草に さ霧は白し いで立ちみれば

みまかりし 友を偲びに ゆかんころ 信濃の山は 色づきぬべし

秋さむく なりまさりつつ 旅を来て 北信濃路に 鯉こくを食ふ

むしあつく ふけわたりたる さ夜なかの ねむりにつぎし 死をおもはむ

大き聖 いましし山ゆ ながれくる 水ゆたかにて 心たぬしも

あしびきの 山のはざまに 白雲の うごくがごとく 人は住みけり

ひんがしに むかひいくたびか 踏みわたる 谷川の香は 親しくもあるか

うつせみの 苦しみ歎く こころさへ はやあはあはし 山のみ寺に

葛の花 ここにも咲きて 人里の ものの恋しき 心おこらず

夏山の みちをうづめて しげりける 車前草ぞ踏む 心たらひて

谷川の 音たえまなき あかつきに いのしへびとぞ ここに居りける

蟻地獄 砂にこもりて ゐるを見つ かりそめのごと 見てか過ぎなむ

志比川の 谷の入さへ 白雪の ふりつむころに 道絶えぬべし

冬ふかみ 志比谷川の 奥谷に 夜半はしづかに 雪つもるべし

ほのぐらき 承陽殿の あかつきに 石のたたみに 額を伏したり

おくつきを 清めに行くと 脚絆をはきし 少女の尼を 見ればまがなし

門外の 極楽橋の ほとりにて 少女の尼と 今か別れむ

夏ふけし 山のみ寺の 杉むらに 朝雨ふるを 見て立つわれは

志比川の 谷を入り来て うらやすし 杉生のなかの 落葉を見れば

ながれあふ 谷間のみずは あるときに しびきをあげて 此処にあふれぬ

しづかなる この谷合に 青々と 稲田いくつか あるも親しき

道のべに どくだみの花 かすかにて 咲きあることを われは忘れず

山がひの 畑にひとりの をみなごは 布を燃やしぬ 蟆子の来ぬがに