人知れず恋はみやまの谷なれや言ひつたふべきはしだにもなし
かき乱す心地こそすれ津の國のこやその人の葦手とおもふに
笛につく秋の牡鹿は我なれや聲するたびに心まどはす
野分して迷ひしこすの風間より入りにしこころ君は知るかも
袖のうらはかかるなみだに朽ちぬべし入りぬる磯の歎きするまに
からくにや虎ふす野邊に住むとだに聞きてひとつに身をもかへばや
あはでやはたち帰るべき園原や伏せ屋に生ふる物ならなくに
いとかくや過ぎにしかたは恋ひざりし寝る夜もありて夢に見えじは
やよいかに心にしのぶ繁からむ人住む宿の妻とみながら
ことつけて辛くもなるか新玉の年のみとせをこころみしまに
草まくら宿やからまし飛鳥井にかげ見し人のかげや見ゆらむ
よたかすむ林のはしに住む鳥のとけてもえ寝ぬ恋もするかな
こたへするかけし鶉は増鏡しのぶることも語らひてまし
なみだ河にしきをあらふ身なりせば深き色をも見せましものを
わが恋はおほうみの藻の腰の絲のいかばかりかは結ぼほれゆく
たまつばき初卯のつゑに切ることは八千代のさかも君こえよとか
とにかくに春は風こそ厭はるれ鞠につけても春につけても
咲く花も鳴くうぐひすも春は花を取り合はせたる頃にもあるかな
祀らるるからやは森の神ならむ楢の葉柏とるもいさめぬ
もろひとの今日みなかくる諸蔓あまねき神のしるしなりけり
おなじくは名のりて過ぎよほととぎす日折りの空もやや暮れぬめり
ももくさの花のけぶりや七夕の雲の衣の袖にしむらむ
夕顔に葵の花のさしあひていづれか色のうてむとすらむ
いろいろの花にまぎるる萱茎を刈るとて野邊に暮しつるかな
ままきいる大宮人は今日やさは冬の弓場に立ちはしむらむ
いかならむ更け行く空の月影に豊岡姫の夜半のみやひと
つららゐる御手洗川も底さえて山あゐのころも影やみゆらむ
教へおきて関より西に遁れにし跡たづぬとて夜を明かしつる
程もなくとりつづきても過ぐるかなこれやひまゆく駒にあるらむ
さざれ石の形見におもひ有ることの誰かいにしへ打ちいだしけむ